私には1つ年下の従兄弟がいます。
名前は「みっくん」。
みっくんからのひと言に、私は多くの気づきをもらいました。
私が絶対に忘れたくない大切な「ひと言のチカラ」です。
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みっくんとは年齢も近かった事から、小さい頃からよく一緒に遊んでいました。
みっくんは物心ついた時から、水戸黄門が大好きで、笑顔と気遣いができ、
親戚が集まるといつもお茶出しや祖母・お母さんのお手伝いをしている優しい男の子でした。
そんなみっくんのお母さん(私の母の姉)は2015年に、
みっくんのお父さんは昨年、天国へ旅立ちました。
一人っ子であったみっくんは自分の両親の喪主をつとめ、
自分の両親の遺品整理をするみっくんの気持ちには、どんなに努力しても、今の自分にはなることはできません。
それでもみっくんは多くの親族、参列者に決して悲しい顔一つ見せず、
「会いにきていただき、ありがとうございます。」と深々と頭を下げていました。
私はきっと同じ状況で、例えもっと時を重ねたとしても、同じようにはできないと思います。
そこには人間強い人なんて、一人もいないと思うけれど、
みっくんの「強さ」を感じずにはいられませんでした。
いや「強さ」ではなく、「弱さ」なのかもしれないし、うまく言葉では言い表せられません。
私が絶対に忘れたくない、忘れることはないみっくんのひと言のチカラを感じたのは、葬儀後の食事の席のことです。
食事は親族に年配者も多く、一般的に多いお刺身が含まれた日本食でした。
その食事の席も、もちろんみっくんが予約や準備をしたものです。
当日の人数変更やら、ノンアルコールビールの注文が全員生ビールがでてきたりとバタバタする中、
みっくんは私にではなく、私の母にこう耳打ちをしたそうです。
「emonくんの食事、変えなくて大丈夫?」
私は小さい頃、好き嫌いが激しくて、お刺身を一切食べれませんでした。
でもそれはもう20年程前の話です。
みっくんとは小学生の頃は年に何度か会っていましたが、中学、高校と部活が活発になり、会っているのは多くみても年に1回程度です。
ましてや社会人になって会ったのは、親族の葬儀くらいなものでした。
それでもみっくんは私の好みを、私の中身を覚えてくれていたんです。
しかも自分の両親が旅立ち、きっと整理がつかないであろう、あの場で。
私に直接聞くのではなく、母に誰にもわからないように伝えてくれる心配りまで。
私は実家に帰ってから、その話を母に聞きました。
聞いたときに、なんと言葉にしたらいいかわからない感情になりました。
正直、あまりのみっくんの心の真っ直ぐさに、自分自身がなんて小さいのだとも感じました。
今思うと、自分がどんな状況でも、相手を想い、考えられるみっくんの心に、胸を打たれたのだと思います。
ただ、今、はっきりと言えるのは「みっくんは心から自慢のできる大切な家族」だということです。
みっくんのひと言はたったひと言かもしれないけど、私にはとてもとても大きな「ひと言」でした。
そのひと言には、今まで一緒に過ごしてきた時間、想い出、私を想ってくれる優しさが全て詰まっていたように思います。
私自身も、家族にとって、誰かにとって、自慢のできる人物であるよう、努力していこう、
そう強く想いました。
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人は生きている中で、たくさんの言葉を表現します。
それは口から、手から、もしくは体全体からかもしれません。
そんな言葉の数々には、「チカラ」が宿っています。
そのチカラは時に人の活力になり、希望になり、勇気になり、凶器にもなります。
私はこれからも言葉を大切にし、誰かの「チカラ」になる「ひと言」を言える人間でありたい、
みっくんのおかげでそう思いました。
みっくんは今、外務省の職員として、中国で働いています。
詳しいことは分かりませんが、あらゆる面で私たちを支えてくれているのだと思います。
きっとこれから立場や状況は刻々と変わり、あらゆる苦難もあるでしょう。
そんな時は今度は自分がみっくんに「ひと言」かけたいと思います。
その時まで、
自分は自分の場所で、
自分にできることに最善を尽くします。
これからも一期一会。
ひと時、ひと時を、
ひと言、ひと言を、
大切に生きていきます。
今、今まで、そしてこれから表現するそのひと言が誰かの「チカラ」になりますように。
〜ひと言のチカラ〜